ふみやのポジティブログ

真面目なふみやはここに置いておきます。

22、答えの出ない永遠のテーマ

※最初に言っておきます、今日の内容はいつも以上に真剣です。



おはようございます。


つい先日、四千頭身のボケ(名前は忘れました)の方に会いました。



快く握手して下さいました。



ただ、緊張して「M1頑張ってください。」と言ってしまいました。


確か準々決勝で敗退してますよね、すみません💦



同世代の芸人が出てくるというのは親近感が湧いて嬉しいものです。



今日は寒すぎて、ダウンをおろしました、ふみやです。
最高は13度だそうです。
ついに冬が来た感じです



皆さんも外出する際は
気をつけて下さいね



寒がりな人はこの時期は人の温もりを求めるそうです。



大学の友人が言っていたのですが、


男子は夏に彼女が欲しくなる
女子は冬に彼氏が欲しくなる


だそうです。




たしかに、言われてみればそんな気がしてきます。



今日はそんな恋愛にちなんだ話をしたいと思います。



恋愛とは「恋」「愛」の組み合わせによる熟語ですよね




英語では、恋も愛もloveと訳すそうです。




ただ、日本語ではビミョーな違いがあるそうです



そうです、今日は誰でも1度は考えたことのあるテーマ




の違いについてです。



よく聞くのは

恋は自己満足愛は自己犠牲



だったり


恋は下に心があるから下心、愛は真ん中に心があるから真心


だったりです。


これ考えた人、上手いこと言いますよね笑




これだけ見ると、恋は自分本位、愛は相手本位な言葉であるように思います。



だけどぼくは心がそんなに綺麗ではないので


うーーん


と疑問が浮かびます。


むしろ逆なんじゃないかなーなんて思ったりします。


たしかに愛は動詞にすると愛する、愛される
どちらの日本語もある、他動詞なわけです。


恋は恋するとは言いますが、恋されるとは言いません。これは主体が自己であるということです。


これについては異論はないです。



ただ、愛ってもっとドロドロしてるように感じません?




逆に恋ってもっと純粋なものじゃないかなって思います。下心なんてないように感じます。



日本には恋人、愛人という言葉があります。



この言葉は今までの話を覆します。圧倒的に前者は真心、後者には下心を感じます。


純愛という言葉も世の中にはありますが、愛が真心を表すものならわざわざ純という漢字を形容しなくていい気もします。


そこで、私の仮説はこうです。

「恋とはまだスタートしたばかりのもの、愛とは行き過ぎたもの」

です。


反感を買いそうですね!



でもぼくは恋に下心があるなんて全く思いません笑


恋人と色んなところに行きたいな。


なんつって。